2019年9月18日 秋旅行 大三島 [つれづれ]
2日目に移動して3日目は、福山泊。
レンタカーを借りて、しまなみ海道を大三島までドライブして、
ずっとずっといつかは行きたいと思っていた 大山祇神社へ。
しまなみ海道。
午後までずっと、いいお天気でした。
大山祇神社。
神社に参拝したあとは、宝物館へ。
国宝・重文の日本の甲冑の約4割がここにあるんだそうです。
見たかったのは、義経の赤糸縅鎧。
ガラスケースの中の赤糸縅鎧を私は1時間以上見ていました。
シンは私を気が済むまで放っておいてくれました。
海側にある大山祇神社の一の鳥居。
大三島のすぐ北には大久野島 通称うさぎ島という、
うさぎがいっぱいいる島があり、大三島側からもフェリーが出ています。
時間的に行けないこともない感じでしたが、今回は対岸から見るだけ。
うさぎさんたちには、またいつか機会があったら。
* * * * *
私は、ティーンエイジャーの頃、いわゆる歴女でした。
動機はやはり、大好きな人物がいたから。
いわゆる推しですね。
高じて、大学では中世日文学を専攻して、源平関連の伝承研究をやりました。
その人のことが少しでも知りたくて、
がむしゃらにその人の伝説について調べました。
当時、最寄りの駅に大三島の観光ポスターが貼られていました。
義経の赤糸縅鎧に「義経の野望。」というあおり文句。
半年くらい後に、頼朝の鎧の同じ構図のポスターも貼られました。
毎日それを見ながら、いつか行きたいと思ったものです。
フットワークが軽めだったとはいえ、
高校生の私には大三島ははるか地の彼方でした。
その後、大河ドラマや様々な時代劇ドラマで、
義経役の俳優さんがその鎧を着るのを見ました。
栴檀の板 鳩尾の板にあしらわれている扇の飾り。
胴丸が大鎧になっている、いかにも義経らしい鎧です。
研究者の道は断念したので、今となっては当時の知識はおぼろです。
当時お世話になった教授も、鬼籍となられました。
でも、今日、宝物館の受付の後ろに、
あの懐かしいポスターが色あせることもなく貼ってあるのを見て、
そのままぽっくり逝くんじゃないかなと思うくらい、ドキドキしました。
20年越しの想いですね。
悔いはないと思えたかな、たぶん。
レンタカーを借りて、しまなみ海道を大三島までドライブして、
ずっとずっといつかは行きたいと思っていた 大山祇神社へ。
しまなみ海道。
午後までずっと、いいお天気でした。
大山祇神社。
神社に参拝したあとは、宝物館へ。
国宝・重文の日本の甲冑の約4割がここにあるんだそうです。
見たかったのは、義経の赤糸縅鎧。
ガラスケースの中の赤糸縅鎧を私は1時間以上見ていました。
シンは私を気が済むまで放っておいてくれました。
海側にある大山祇神社の一の鳥居。
大三島のすぐ北には大久野島 通称うさぎ島という、
うさぎがいっぱいいる島があり、大三島側からもフェリーが出ています。
時間的に行けないこともない感じでしたが、今回は対岸から見るだけ。
うさぎさんたちには、またいつか機会があったら。
* * * * *
私は、ティーンエイジャーの頃、いわゆる歴女でした。
動機はやはり、大好きな人物がいたから。
いわゆる推しですね。
高じて、大学では中世日文学を専攻して、源平関連の伝承研究をやりました。
その人のことが少しでも知りたくて、
がむしゃらにその人の伝説について調べました。
当時、最寄りの駅に大三島の観光ポスターが貼られていました。
義経の赤糸縅鎧に「義経の野望。」というあおり文句。
半年くらい後に、頼朝の鎧の同じ構図のポスターも貼られました。
毎日それを見ながら、いつか行きたいと思ったものです。
フットワークが軽めだったとはいえ、
高校生の私には大三島ははるか地の彼方でした。
その後、大河ドラマや様々な時代劇ドラマで、
義経役の俳優さんがその鎧を着るのを見ました。
栴檀の板 鳩尾の板にあしらわれている扇の飾り。
胴丸が大鎧になっている、いかにも義経らしい鎧です。
研究者の道は断念したので、今となっては当時の知識はおぼろです。
当時お世話になった教授も、鬼籍となられました。
でも、今日、宝物館の受付の後ろに、
あの懐かしいポスターが色あせることもなく貼ってあるのを見て、
そのままぽっくり逝くんじゃないかなと思うくらい、ドキドキしました。
20年越しの想いですね。
悔いはないと思えたかな、たぶん。
2019-09-18 22:10
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